Starting over part2 —-Iam Japanese calligrapher

いよいよこのままではいけないと

日本のトップクラスの書道の先生達に

あいまくりました

会派は関係なく。

どの先生も優しく対応してくれました

私がかなり悲壮感もって

必死な顔してたのかもしれません

一年後、一生の師匠を見つけ

入門させていただけることになりました❣️

入門にいたるまで中々大変でしたよー💦

そうそう簡単に入門させてくれませんでした

そこから、師範の資格もとり、色んな展覧会にも出して書きまくりました

毎日寝るのは3時間程度

ようやく独立です‼️

しかし2年後、親愛なる師匠が他界。

覚悟して道は出来てきたけど困難は襲ってきます

試されてるようでした

本当に書家になるの❓って、、、

悲しみに暮れました。その後、書道教室を始めたり、新たなジャンルの書道にも挑戦を始めました。

特にデザイン書道業界の久木田先生との出会いはとても新鮮でした

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そして何より

叔父(狩野炎立)が海外への美術展を

勧めてくれて、45歳で初の海外展へ。

ベルギーの日本大使館で開かれた

『富士山を世界遺産に』という

展覧会でした

日本画、書、工芸、油絵などなど

活躍されてる芸術家の方たちが

ワンサカと、、、

私の「ふじ山」って書いた掛け軸がグランプリ授賞!

腰がうきました!!笑笑

そこから、海外10カ国に何回も出して、販売をしてきましたが・・・・

肝心の日本では全く売れなくて。

日本の美術が売れる事情と海外で売れる事情を体験しました。そもそも美術品に対する考え方が違うこともありましたが、私が未熟だっただけです。海外で売れたのはたまたまだったと思います

しかし、2021年3月ドイツ カールスルーエーの美術展で40号の作品が売れたのは私の作風が変わったからだと思います。

何故、作風が変わったのか❓

それは円相を愛してやまない偉大な叔父 狩野炎立が亡くなったこと。

私も絵師狩野派と同じ一族だったということが大きく作風を変え、メンタルまで変わることになりました

再出発の理由はそこに、、、

書も墨という芸術である。芸術家なら狭い日本の考え方を脱して世界の人から評価をもらえ‼️
ボロボロの評価でもいいじやないか‼️現実を見ることだ
と叔父が私に残した名言です

日本の書道展から離れ

人生の覚悟を決めて10年もすぎて

わかったことは

覚悟を決めたら道はできる

ってこと。

苦労もあるけど道が整っていく

何をするべきなのか

どんなことをしたいのか

どんどんと周りの環境がかわり

わかっていく

そんな体験をしました

一つの作品との出会いが人生を変える

いくつもの試練を越えてきた波乱万丈人生

いつも書があり、人生の岐路を乗り越えた

だからこそ伝える熱い想い

輝く未来は自分でしか作れないということ

書はそのお手伝いをしてくれます

心の変化のお手伝い

心が変わることで見える世界が変わり

自分が変わる

人生が変わる

そして幸せの大海原へ船出します

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